28.よみがえる悪夢3.16福島県沖地震

2022年03月18日

こんにちは!攻略班ミカヅキです!!

今日も元気もよく命の勉強していきましょう!!

今日のテーマはこれですね。

毎年やばいの!!?3.16福島県沖地震ということまたしても去年に引き続き起こってしまった

福島県沖地震の現地レポをお送りしたいと思います。

現地ではどのような悲惨な現状を送っているのか現地民として赤裸々に書かせて頂きたいと思いますので、(*^^)/よろしくお願いいたします。

それでは早速始めて行きましょう。

1.東日本大震災の記憶

こんなことをテーマに書いているので大体私が住んでいるところはもうお察しですが、この地震の被害をめいいっぱい被った地域内とだけ言っておきます。

私の経験歴は結構長く、もはや歴史の教科書の一ページにもなった未曾有の大災害東日本大震災の私は実際に経験しております。

東日本大震災の当時はまだ学生で進学で故郷を離れるクラスメイトとお別れ会ということで、ボウリングで遊んでいたところを災害にみまわれました。

本当にもの凄い揺れで、もはや立っていることができず近くしゃがみ込んで必死に揺れが止まるのを耐えていたという状況でした。

揺れが止まるとボウリング場の機器は憐れにも破損し、火事が起こったところを友人達と命からがらボウリング場から脱出したのを記憶しております。

その後、憐れにも変貌してしまった市内の町並みを眺めながら、友人達とあたりをさまようことになりました。

幸い免許をとって車で来ていた友人がいたので、彼が自分の家族の安否を確認した後、私達を車で自宅に送ってくれると提案してくれたので、私達は当面の居場所の確保と食糧の確保に動き出すことになりました。

街はビルの窓ガラスが割れたり、物が散乱していたり、火の手が上がっていたり、居場所を失った人達であふれかえっており本当に悲惨なありようでした。

しかも震災当日は雪がちらつくような寒さでしたので、私は友人達と寒空の中を行く当ても無くさまようことになりました。

携帯もつながらず、何も情報が入らない中だったので本当に不安でこれからどうなってしまうか、とりあえず家に帰って家族の安否を確認したいとこれだけを思っておりました。

コンビニやスーパーに途中何件も立ち寄って食料を求めましたが、どこも棚から物が消え、セブンイレブンではレジが壊れて使えないため、電卓で計算して物を売っている店員さんの姿が印象的でした。

あとはセブンイレブンの棚にはもううまい棒が3本しか残っていなかっため、とりあえず無いよりはましと、友人達とうまい棒3本を購入し、とりあえず飢えをしのぎました。(しのげていない…)

携帯電話は繋がったり、繋がらなかったりを繰り返しているような状態だったのですが、やっと

車を所持している友人から連絡がとれ、私は家に戻れることになりました。(本当に友人には感謝しかない)

家に戻ると家族は全員無事でした。

当日外出していたのは私一人だけだったため、家族との再会を喜び、お互いに生きていたことにまず安堵しましたが、家の中はとにかくめちゃくちゃで物で散乱しており(まあ元からゴミ屋敷だったから散乱はしていたけれどもw)足の踏み場もありませんでした(もとから無かったくらいには汚かったけれども、ガラスの破片とかもあってさらに踏み場がなくなっていました。)

水道やガス電気、インフラが全て止まって、余震も酷く、家から離れて車の中で寝起きをしました。

幸いまだ学生で仕事に就く前だったのでゆっくりと家の中の片付けを手伝うことができましたが、

今から考えるとこの時期に今の職場に入っていたらと思うとぞっとします笑

私が住んでいる地域は沿岸部でもなく、津波の被害はありませんでしたが、放射能の影響を受ける地域だったため、すぐに除染作業が慌ただしく開始されました。

幸い、避難区域外だっため家を捨てることにならずに済んだこともあり、比較的私は家の中がめちゃくちゃになったことと、地震当日に死にかけたことくらいの被害で済むことになったため、津波で家や命を失ったり、放射能で住む場所を失った方々に比べればまだ全然被害は小さい部類に入るでしょう。

ただし、地震で命のからがらの思いをした経験は中々に私の心に傷を残しました。

2.振り出しに戻された3.16

最近になってまた地震が増えてきましたね。

昨年2021年の2月13日の福島県沖地震は中々に私の仕事に直撃したため大きな負担になりました。

マグニチュード7.3、東日本大震災がマグニチュード9.0かつもっと長い時間にわたったため、被害自体は大分小さかったのですが、それでも管理している施設が大分被害にあい、私は被害報告の集約にいそしむことになりました。

それはもう地獄のような忙しさで、毎日寝る前も惜しんで働くことになりました。

福島県沖地震でもこんなに忙しいことになるのに、東日本を乗り越えた諸先輩方は本当に苦労をされたのだなあ…と真っ青な顔で業務をしていたしだいです。

そして一年間復旧作業に取り組んで、やっとのこと全ての工事が終わることになりました。

本当に長かった…でもやりきった…と

達成感でいっぱいでした。

地震での忙しい経験もきっと今後の糧になる。

厳しいことに部署異動も決定してしまい、異動なんてないとたかをくくっていた私は上司から呼び出されて、本当にびっくりしましたw

あと1年は異動しないと思っていたため、正直準備も一切していないという状態でこれは中々に大変だとおもっていた矢先の3月16日の夜中11時36分

あれ、地震だな…(不安)

いや、どうせいつもの小さいやつだから外に出ないで寝てていいでしょ?(地震慣れ民)

待って!止まる気配なくない?…大丈夫大丈夫!きっと気のせいだって(願望)

むーりー!!これはヤバイ死ぬ~!!!!(机の下へダイブ)

ガッシャーン!!!!(机の上にタンスが降ってきて死にかける…)

地震で死にかけるのは今まで生きてきて、東日本に続いて2回目の経験でした笑(えない)

ようやく揺れが収まると家の中は東日本を想起させるような有様となっており、弱い地震であって欲しいという理想を抱いて溺死しかねた私以外の家族は全員家の外に避難していました。

私もガラスの破片などを踏まないように慎重に外に出ました(2.13日の地震の際にガラスを思いっきり踏んづけてしまって職場の人からめっさイジられたので超気をつけましたw)

そして防災無線が鳴り響く夜空を見上げて、万感の思いに浸りました…

ああ、私の一年間の災害復旧全部無駄やんけ…

まるで一度掘った穴を再び埋めさせるられる中国の拷問を受けているような、双六でゴール一歩手前で振り出しに戻るというすさまじい制作者の人でなしトラップを踏んでしまったようなとても儚い感情を抱いてつったっていたところ、職場から呼び出し食らって睡眠返上と至ったわけです。(南無南無~)

私がこの記事で伝えたいのは一つ。

地震はもういらないよお~(号泣)!!です。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

久しぶりに文章を書いたのでまとまりが無かったり読みにくい箇所もあるかもしれませんが、

また落ち着いたらゆっくりとリハビリしていきたいと思いますので、どうか(*^^)/よろしくおねがいします。

ほんとにもう、地震はやめてほしいです(大事なことなので二回ry)

それではまた次回の記事でお会いしましょう!さよなら~。




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