35.あのミラノ風ドリアをもう一度!
こんにちは!元廃課金ミカヅキです!
今日は外食についてをテーマに記事を書いていきたいと思います。
皆様は外食はお好きでしょうか?
私は大好きでした笑
普段食べられないような美味しいモノから、マクドナルドや今話題?のシャブ漬け牛丼屋のようなところで
好きなものを好きなだけ食べるのが本当に好きで、仕事のストレス解消に一役買って頂いておりました。
しかし、20代も後半、26歳を迎えたある日を境に私のこの外食に対する考え方は大きく変貌していくことになりました。
久しぶりの記事なのでウォーミングアップもかねて軽いエンタメとして読んで頂ければ嬉しいです。
早速本題に入らせて頂きますのでよろしくお願いいたします!
1.ふと感じた空しさ
私はとにかく美味しいモノを食べるのが好きで、学生の頃からもっともっとお金があったら
食べたいものを食べれて幸せになれると考えて生きてきました。
特にサイゼリアが大好きで、友達と来たり、時には一人で行ってミラノ風ドリアやピザなど好きなモノをとにかく頼みまくっていたのも懐かしい思い出です。
高校時代までは一応進学校でアルバイト禁止だったこともあり、お金はお小遣いの範囲しか使えず不自由な思いをしていましたが
大学性になるとアルバイトができるようになり、好きな洋服や服飾を買いあさったり、
念願の食べ歩きを敢行したりなどとにかく私にとっての春がやってきました。
とにかく美味しいと聞いたお店に行きまくってアルバイト代はその月の中で全額使い切る…
日銭を稼いでは遊んで暮らすというごくごくふつーの楽しい大学生活を送っていたと思います。
バイトでストレスなく大学も文系でゆるゆるな授業を先輩からリサーチしていわゆるコスパの良い大学生活を送っていた私はここが人生で一番幸せな時だったのかもしれません。
やがてそんな楽しい大学生活も終わりをつげ、働くようになってからは一応バイト時代よりかはお金を稼げるようになったものの、社会人としてのストレスが割りにあっておらず、私の楽しい外食は仕事のストレスを発散するための装置へと変わっていきました。
確かに大学時代と同じで自分の好きなように稼いだお金を使えるため、お寿司にラーメン、ピザにパスタと好きなものを好きなだけ食べることはできる点は変わらないのですが、とにかくすさまじいストレスのためにどんよりとした曇った思考回路の中でなんとか食事にありつくといった感じになってしまいました。
それでも高いお寿司や高級や焼き肉店、学生の頃には手を出すことすらはばかられたこじゃれたお店を巡ること自体は本当に楽しいものであったことは変わりません。
しかし、人間というモノは本当に何事に対しても飽きが来るもので、26歳の頃いつも通り一人で新しいお店に来ていた時にふと少しの空しさを感じることになりました。
2.世間体を叩き切る!!
私は一人で自由気ままに行動するのが好きで、特に必要ないと思っていたので同年代が恋人がどうの彼氏、彼女がどうのこうのという話が上がってもどこ吹く風で一人で気ままにゲームに課金したり、美味しいお店をさがしたりと自由気ままに生きてきました。
でもふと気付けば自分ももう26歳、アラサーとなって周りは結婚する人も大分増えてきました。
この時に私は一瞬、このままぷらぷら過ごしていて本当に良いのだろうか?
と世間体を気にしてしまったのです。
私の父は典型的なサラリーマン、母はパートづとめの専業主婦という典型的な一般家庭で、
父は文字通り身を粉にして私を育て、母も精一杯子育てに取り組んできました。
そんな両親を見て育ち、母からあなたも子育てをして子育ての大変さを分ってくれるのが一番の親孝行と言われて育って来た私は、ふと我に返って現在の自分を省みて…あせりました笑
自由気ままに日銭を使い切って遊びほうけていた私には貯金もなく、恋人もいないと来て世間一般にいう普通の家族というものからは遠い位置にいました。
このままではいけないと思って2年間くらいマッチングアプリやら婚活やらをやってみましたが、結論から言えばやめることにしました。
世間体を気にすることそのものが馬鹿らしくなりましたし、その世間体を満たしたとしても私にとっての幸せとはかけ離れていると考えたからです。
両親の願いを叶えてあげられなかったことは残念でしたが、元々一人が好きで気ままに生きてきた人間を世間体という型にはめ込むこと自体に無理がありました。
結婚して、こどもを授かって、車と家を買って、愛する家族のために身を粉にして働く…
まるで小さい頃からクレヨンしんちゃんで見てきたような幸せのカタチに私は初めて疑問を抱くようになったのです。
どことなく、なんとなく、いつかは自分もこうなっていくのだろうなあ…なんて考えている人もいるかもしれませんが、これってすごく難しいことだったんだと大人になって実感する事になりました。
まず初っぱなからですが、結婚することって並大抵の難易度ではありません笑
今までまったく別の生活をしてきた赤の他人が一緒に生活をするようになるという時点で大体察しがつきますが価値感の相違なんて生やさしい言葉で片付けられるわけもなく、価値感なんて食い違いまくりで折り合いをつけるなんてほぼ不可能ですw
結婚をする前は目を大きく見開いて相手を見る、そして結婚してからはある程度相手の行動や言動に対しては目をつむる…これが結婚生活を円満に送るコツだと祖母から聞かされていましたが、まさにそのとおりで、お互いの価値感を主張しあっていたら円満な生活なんて送れるわけがないのです。
このブログを見てくださってる方ならばソシャゲに課金することは当たり前ととらえること多いでしょう。
私も昨年までは課金をしていたのでその価値感に対して理解があります。
しかし、一般的には課金というのはギャンブルよりも酷い、実物ではない、データにお金を払うことであり、一般的な価値感を持っている方からすれば到底受け入れられるモノではないでしょう。
ことは課金に限った話ではありません。
日常生活の細かい家事の手順から何からすべて食い違ってくる問題にすべて一つの回答をだして折り合いをつける作業が必要になってくるわけです。
私は実際に交際をしてみて、この食い違いになんどもぶち当たり、正直嫌気がさしました笑笑
交際の段階ですでにこんな状態なのですから、一緒に暮らすなんてなったらストレスで死んでしまうことは想像に難くありません。
それに加えて、子育てが始まれば、自分の時間もお金も奪われて子どもを第一優先で動かなければなりませんし、子どもが大きくなれば、ファミリーカーを家族で購入したり、マイホームについても話が出てくるでしょう。
そしてそんな大きな買い物をすることになれば、ローンが必須になってきますから、夫婦共働きで仕事も辞められずずーっと嫌な職場で嫌な労働をさせられ続ける事になります。
ここまで読むと大分嫌な気分になっている方もいらっしゃるかもしれませんが、この話はあくまで子どもが健常者で、夫婦仲が良好という最高のコンディションであるという前提における話になります。
ここに子どもが健常者ではなく、療育手帳が必要ないわゆる精神遅滞の知的障害者で生を受けたり、夫や妻との関係が悪くなってDVや離婚の問題が発生したりしてくると状況は大きく変わってきます。
要するに最高の上手くいってる前提で話を進めても大分ハードモードなのにもかかわらず、子どもの障害リスクや夫婦間のトラブルといったリスクがつきまとってくるわけです。
よく結婚式で病める時も健やかなる時も~なんて一言で片付けられるような決まり文句ですが、これは本当に由々しき大リスクです!!
私は特に、仕事がら一人親とか障がい者に関わることが多かったので、よく分るのですが、この方々の現実にふれていくとマジで夢をもてなくなりますよ?
こうした多大なリスクを飲み下して、世間体というものを人間は保っているわけです。
この厳しすぎる世間体という現実の沼に一歩足を踏み入れかけて26歳~28歳まで調べてあげた私は…
……うん、いらねーわ(^_^)
…とこの世間体という粗大ゴミを断捨離する事に決めたのでした笑
3.本当に美味しい外食とは…?
【世間体】という粗大ゴミを約2年間という長き闘いの中で見事断捨離することに成功した私は、再び美味しい外食に舌鼓を打つ日々を送っておりました。
世間体というものは大金と時間を要求してくるもので、結婚資金、子育ての教育資金と時間、マイホーム、ファミリーカーとすさまじい金額ざっとなんぼでしょうかね…。
えっと、結婚式の相場が300万、新婚旅行70万だったかな(職場の同僚複数人にインタビューしました!)新居への家具の入れ替えで70万、子育ては子ども一人につき3000万、マイホームは少なく見積もっても5000万、車で500万といったところでしょうかね?
締めて、子ども一人想定で、8940万円ですね!
この金額を断捨離したわけです。
すさまじい額と重圧と責任ですよね…
そりゃあ、再びご飯も美味しく食べられるってものです♪♪
もちろん私が捨ててしまった中に世間一般の幸せがあることを私は一切否定はしません。
素敵な王子様みたいな人と出会って、末永く幸せに暮らす日々も全然ありだと思いますよ♪(私は御免被るけども…)
そうして29歳になった私は再びぷらぷら外食をしながら美味しいモノを食べて、死ぬまで趣味の外食やゲームをしながら慎ましくも幸せに生きていければ最高の人生と呼べるよね!
と考えていたのですが、まだ私には脱却せねばならぬ大きな課題が残っていたのです。
そう、日々、私の世界に一つしか無い大切な心と体に多大なるストレスを与えてくるもの…
【労働】です!!
これを克服することが次の大きな課題として私の前に大きく立ちふさがりました。
確かに働き続けている限りは美味しい外食や趣味を続けて行くことができますが、私は能力がそんなに高い方でもないですし、メンタルも豆腐でまったく強くなく、一回鬱病を食らったことすらあります。
世間体を克服?(三十六計逃げるにしかず=逃げ☆)することによって責任・時間・お金をばっさりそぎ落とした私でしたが、まだここの問題を克服できてはいませんでした。
それに気付いた時に私は再び外食を美味しく食べる事ができなくなってしまったのです…
感情的に表現するのであれば、のんきに高級寿司食べてる場合ではないやん!!といった具合ですw
美味しいラーメンも美味しいお寿司も、過酷な労働の上に成り立っている…
こんな状況では美味しいものもまずくなってしまう…
私はもう一度大学性の頃に食べていた、ほどよいストレスフリーな適度な労働の中で食べていたサイゼリアのミラノ風ドリアをもう一度食べたいと心から願うようになりました。
高級なお寿司、高級なフランス料理、高級な中華フルコース、上げれば欲望にきりは有りませんが、私が臨んでいるのはそんなものではありません!!
大学性の頃に食べた、あのストレスフリーで心が本当に平穏で人生の中で一番穏やかな時間の中で食べたミラノ風ドリアをもう一度取り戻す!!!!
心の贅沢を取り戻す!!
私にとっての本当に美味しい外食とは、ただただお高いお寿司や鰻ではなく、穏やかで優しい時間の中で食べたサイゼリアのミラノ風ドリアだったのだと私は30歳にして気がつき、本当に美味しい外食を食べる為の闘いをスタートさせたのでした。
4.おわりに
ここまで読んで頂きありがとうございました!
本当にいろいろな価値感が跋扈する現代社会の中でも私の価値感はいわゆる
【ぶっとんでいる】ものらしく、Twitterでも多くの方からご好評?頂くことができました。
20代前半の頃こそ、こんな価値感じゃダメだ…もっと誰しもに認められるような立派で普通の人間になれなければ…!!
と思っていた私ですが、溢れ出る個性に蓋をすることはできないものらしく、職場や友人からはすっかり変わり者、面白い人というレッテルが貼られてしまい、思い悩んでいた時期もありました。
ですが、年を取るにつれて、「まっ、私はこういう人間だし、しょうがないよねw」
とある種の吹っ切りをして今は楽しく自由に向かって日々勉強を続けているところであります。
今回のテーマでお話をした世間体の断捨離もいわゆるその吹っ切りの一部でして、世間が必要と押しつけがましくしてくるものでも、私は要らないんだから、要らない!!と「だが断る!!」の精神でNoを思いっきり突きつけてやったわけです。
一度吹っ切れてしまうと、不思議なもので本当に視界はクリアになりました。
皆様の中にも、私ほど極端な場合は希だとしても世間体を気にして、自分の価値感をゆがめてしまっている方が中にはいらっしゃるのではないでしょうか?
私が先日拝見したツイートの中で職場で募金という言葉を課金と言い間違ってしまい恥をかいてしまったことを気にされている…といったツイートがありましたが
課金という世間体の悪い言葉が普段使いとして出てしまう…つまり日常的にそういった世間体の悪いものに触れている人間と周りに思われることに強い嫌悪感を抱かれたのかもしれません。
周りの方からすれば些細な言い間違いでちょっと笑って終わってしまうようなことでも、世間体を気にする本人からすれば、たまったものではないでしょう。
このように世間体というものはある種の呪いのようなもので時に本人を苦しめ、深く傷つけてしまう鋭いナイフのような一面を持っております。
しっかりと磨かれ、手入れの行き届いたナイフは周りから見れば美しく、機能的で本当に輝いて見える事でしょう。
ですが、その鋭さ故にひとたび誤って手を滑らせれば自分自身を傷つける諸刃の剣でもあります。
世間体というナイフで自らの心身をずたずたにしないために私はナイフを手放す決心をしました。
それを後悔はしていません。
皆様もどうか世間体というナイフで自分をリストカットするようなことがないよう願っております。
ここまで読んで頂き本当にありがとうございました!
皆様の日々が幸せで溢れることを願ってここで文章を閉めたいと思います。
それではまた次回の記事でお会いしましょう!またね(*^^)/