38.超絶ブラック特異点・無限残業法的認可都市東京 序章
はぁはぁ…もうすこしだ…もう少しで出口に…
日もすっかり墜ちて久しい深夜のビルの中を髪の毛に白髪も混じり始めた中年の男は
ただひたすらに走り続けていた。
もう少しで社外に出ることができる…!!
男の体型はお世辞にも健康的とは言えずに目の下には真っ黒なクマ、額には多くの精神的負荷を受けたことがうかがえる嫌な脂汗を流しながら、インスタント食品によって出っ張った大きなお腹を抱えながら、100連勤でボロボロになった身体をひきずりながらも今の力を振り絞り懸命に進み続けていた。
私には、まだ妻と小学校にあがったばかりの幼い娘がいる…!
ここで倒れるわけには…ッ!!いかないんだぁぁぁ!!!
は~い、お送りしております♪^^
ひぃぃぃぃああああぁぁあぁ!!!!
だが現実ってやつはどうも思っているようにはいかないのが常らしい…
男の前には今もっとも会いたくない…いや男だけに限った話ではない。
この建物の絶対的支配者がそこにまるで巨人のように、そびえ立つ壁のように待ち構えていたのだった。
S、Sバニヤン社長…!どどど、どうしてこちらに!?今はもうとっくに深夜の時間外ですし、とっくに退勤されているはずでは?!
うん!でも皆毎日遅くまで頑張って働いてくれているのにリーダーの私だけさっさと退勤して管理業務を怠るのは違うと思うから、こうしてフレックスでうまく業務時間を調整しているんだ♪
そそそ、それはそれは本当にお疲れ様です。我々社員も社長にここまでして頂けるのであれば励みにもなります。社長のご期待に添うべくよりいっそう精進する所存であります。
うんうん!良い心がけだね♪
…ところで、ずいぶん急いでいたようだけど、どこに行こうとしていたのかな?
…え?
だって、外回りをするにしても今の時間は深夜だし、取引先の窓口もまだ業務開始にはまだまだ時間があるよ?だったら今の時間は中で日中の外回りで依頼を受けてきた見積書を作成したり事務作業を進めるのがECRSに則った行動方針と言えるのではないかな?
そ、それは…おっしゃるとおりですが…
私、しばらく家に帰っていないので今日は久しぶりに終電で帰らせて頂こうと…考えておりまして…うん!!でもそれは別に君だけに限った話ではないよね?
確かに皆に負担を強いてしまっているのは事実だし社長として私も申し訳ないと思ってるよ。
けど、今は国を挙げて失った経済成長と、失敗した公共事業で抱えた多額の借金を返している状況だし、
ここまま借金すら返すことができずに未来の子ども達に残すようなことになれば、経済力を失った今の日本では借金は到底返しきることなんてできないし、膨らむ一方だ。
そんな負の遺産を君は小学校にあがったばかりのかわいい娘さんに押しつけて、自分はそうそうに自宅に帰るとそう言いたいのかい?
そ、それは…!!
別に長時間労働をお願いしているのはうちの会社に限った話じゃない。あの法律、労働者総動員法が可決してから日本企業全体が二十四時間労働を解禁してる。
君だけが大変なんじゃない…みんな大変なんだよ?私達は仲間じゃない!この未曾有の危機にも力を合わせて頑張ろうよ!!
いッ…
い?
いやだあああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!!俺は今日は終電で帰るんだ-ー!!!バッ!!
あっ!できれば対話で平和的に解決したかったけど…!DOMAN!!
ンンンンンン~♪かしこまりました。拙僧におまかせあれ。
そこぉぉぉどけぇぇぇぇ!!!!!
ええ♪どうぞ。お通りなされ、お通りなされ♪
よっしゃ…!!ただし。
え…?ピタッ!
今のあなたの行動は明かな労働者総動員法第七条第一項職務専念義務違反。
これが明るみになれば解雇は免れますまい…
はぁ…はぁ…!
この求人倍率暴落の現代日本国において職を失うことはすなわち飢え死にするも同義…
はぁ…はぁ…はぁ…!!!
モブ男殿、拙僧は陰ながら今まであなたの頑張りを拝見しておりました。
…拙僧はあなたのような素晴らしい人材が路頭に迷い飢えていくような姿を見たくはありませぬ…。
本来であれば、脱走現場を押さえてしまった時点で罪は免れませぬが、社長はあなたの事を評価しておられますし、拙僧も法に通じる者なれど…一人の人間として社長のお心を傷つけるような真似をしたくは有りませぬ。…ささ、選びなされ。
素直に持ち場に戻られるのであれば、我々は今日見たことは全て忘れて、水に流すといたしましょうぞ…。
はぁはぁはぁはぁッッッ…!!!!!!
…今日もまた東京のビルに明かりが灯る。
戦後の焼け野原からがむしゃらに駆け抜けてきた先人達が作り上げてきた偉業の一部。
それは世界でも有数の夜景として知られるようになった。
だが、バブル崩壊後その輝きは失われ、今は別の意味でとこしえに輝き続ける。
常闇とはほど遠い眠らずの都。
今日もまた名も知れぬ男は一人ビルの片隅で倒れるように眠りへと墜ちていくのであった。